カフェオープンまでの長い道。(1)

このお店、6年前に工房を移転したときにオープンしました。
ものを売るのは木工やクラフトのイベントの時だけで、店については素人だった我々は、この6年間、試行錯誤、時にお店をやすんだりしながら、少しずつ魅力ある店を目指して続けて来ました。
そんな中で、どうしてもやりたくてできなかった、必要不可欠なもの、それがカフェでした。
ここには、古くから受け継がれてきた魅力的な構造の建物、家具、そして本がある。
この空間で、ゆっくりしてもらいたいけど、いつも手持ち無沙汰な感覚を覚えていました。
コーヒーメーカーで淹れたコーヒーとお菓子をお客様に提供もしていましたが、ゆっくりしたいお客様と時間のないお客様の判断に迷い、それもどうなんだろうと考えるようになっていました。

カフェを始めるには、設備がいる。それはすぐにはできないことはわかっていました。

さて、これまでの6年間。私たちがこの場所でどんな思い出お店を続けてきたのか、カフェに対する思い。本のこと、そして家具、ものづくりのこと。
昔続けていたブログでは思いを結構吐き出していたけど、最近はインスタばかりだった僕が、もう一度、思い出しながら書いてみたいと思いました。
「僕」は、この店とキナリ木工所の代表(夫婦ですが)、坂本正成、45歳です。
山口県出身、大学から社会人を関西と広島で過ごし、10年の印刷サラリーマンを経て高山の訓練校に入校。すぐに始めた工房がキナリ木工所です。

書いている間に長文になってきたので、何回かに分けます。お時間のある方は読んでいただけたら。
文体はデスマス調だと違和感があったので、あえて独白みたいになってます。ご了承ください!
あと、セリフ調のところはもちろんほんとに言ったママではなく、そういうニュアンスのことを言ったな、というものです。

・・・・・

6年前の5月ごろ、高山市内の国道バイパス沿いの工房から、住まいと工房、そしてお店が一体でできる場所を探していた。
高山市は都会に比べればそういった広い物件は比較的安価に見つかりやすいとはいえ、ずっと不動産広告やサイトを見ていても、自分たちに丁度いいところは見つからず、半ば諦めていたところだった。

その出会いは突然だった。

何度も通っていた高山市街から遠く離れた温泉「恵比寿の湯」。疲れが溜まったとき、鉄分を多く含んだ濁ったお湯は一気に回復させてくれる。
その休憩所で何気なくみた高山市民時報という地元の新聞に、一番小さいサイズで掲載された個人広告「倉庫向き○万円。〇〇町短大通学路。約100平米。電話〇〇・・・」。
まず「倉庫向き」という言葉に反応。しかも広い!値段もその広さでは破格で、場所はあのあたりだと、結構市内中心部だ。
もし、これが本当なら、すごく面白い場所だ!
(その温泉に高山市民時報は普段置いてなくて、たまたま5周年記念の広告を打った号だけ置いてあった、という奇跡だった)

しかし、待て。
これまで数多くの物件を探して来たが、そんな都合の良い物件などなかった。
どうせ見てみたら多分がっかりする何かがあって、訳ありなのだろう。
そう思いながらも、そわそわする気持ちは抑えられず、「短大通学路(短大とは、高山自動車短大のこと)」「〇〇町」を頼りに、それらしい物件を探して車で走り回る。
何度見ても、それらしい建物はない。
「あー、やっぱりあるわけないか」
電話すればいいのだが、この時点ではあやしいと思う気持ちもあり、諦めかけていた時。今のこの建物の前で少し車が渋滞して停まり、何気に建物を見ると、達筆な筆文字で「倉庫向き○万円」の文字。

えー、ここ!!

その建物は、元クリーニング店が入っていた建物で、ずっと前にここを通ったとき、おぼろげながら「こんな建物だったらいろいろできそうだな」と思った記憶があった。
しかし、想像より街の方で、この値段で出ているとは考え難い場所だった。
なので、その大きな建物すべてがその対象ではなく、多分区切られた一部を貸しているんだろうと。

改めてその文字を見ると「約100平米」と書いてある。
いや、そうであればこれ全部だ!
中を見るとしばらく使われていない閑散とした内装が見える。
興奮する気持ちを抑えられず、妻に電話した。
「ちょっと、前言ってた気になる物件見つけた!すぐ来て!!」

仕事終わりに駆けつけた妻に、「これこの条件ならやばくない!?」すると、「うん。とにかく電話してみた方がええよ!」

大家さんはすぐに来てくれた。
御歳90を超えて、驚くほど元気。しっかりした白髪に水戸黄門のように「ハッハッハ」と豪快に笑う方だった。
そして中を見せていただき、「中は好きに改装していい。その代わり電気はほぼ切ってあって、改装費用はそちら持ち」という条件で、その広い建物を貸していただけるというお話だった。
確かに、電気はトイレと必要最小限の小さな照明以外、すべて切ってあった。
クリーニングのテナントが抜けた後、質屋や楽器店、コピー機販売、はたまたこたつまで売り出していたという実業家大家さんが「趣味の店」としてまな板などを売っていたという。
トイレ以外、何にもない。

でも、それがよかった。
クリーニング店の時に2階ほどの高さの天井の空間は、1階部分で吊り天井が貼られていて、その上は完全に天井裏になっている。覗き込むと埃だらけの空間。
ボクシングジムだった時の名残で、リングの形に盛り上がったコンクリートの部分。
しかし、クリーニング店だった時の名残で、コインランドリーなど水道の配管がやたら充実していた。

大家さんに「すぐに決めるわけにはいきませんが、借りたいです!」と伝えると、大家さんはニコッと「ハッハッハー」と豪快に笑った。
運命的だったと思う。

すぐに建築業界で働く友人をその場所に呼んだ。大家さんが鍵を貸してくれた。
高山の訓練校の繋がりで知り合い、本が好きという共通点があった。年下だが、話のツボが合う。

「ここ、どう!?」
「いや、おもしろいですね。」
「ここでお店やって、本とかも扱えたら面白いよね?」

裸電球1つだけの薄暗い建物の中、暗くなるまで「ここ、こうできる?」「こんなんしたいよね!」と盛り上がる。
もう、借りた気でいた。
正直、現実にはここに住むというのは、倉庫の中に家を1軒作るようなもの。作業場は比較的簡単だが、だだっ広い空間をどう店と切り分けるのか。
突き進む妄想とは裏腹に、現実的には難しすぎる課題だらけだった。

しかし、浮かれた気持ちは沈みそうにない。
ずっとやりたかったことがここでできる。多分一生かけて(もちろん僕らの予算で)こんなにもちょうどいい場所と建物は見つからない。
妻と「やるしかないだろう」と意気投合し、一気に物件を借りることに決めた。確かその年の6月ごろだった。

お店は、正直どれくらいお金がかかるかわからない。まずは工房だけ移転して、住めるようにして、そのあと店を作るしかないか。
でも、工房と店をどうやって仕切ったらいいのか、自力でそんなことできるのかな?
途方もない行く末にそう考えていた時だった。
その頃「小規模事業者持続化補助金」という国の補助金制度があり、工房仲間でも「今度申請しようと思う」という人がいた。
どうやら、ショールームや店にも使えるらしい。
商工会に相談したところ、やってみることになった。
そこから、慣れない申請書類作りに苦戦しながらなんとか作り上げた申請書は、なんと、結構な倍率を超えて採択!
期限も決まり、待った無しの「工房、ショールーム兼店舗」づくりがスタートするのだった。

(つづく)